純愛などと俺が言うのもなんだか痒いのだけれども

暇だったので青空文庫
坂口安吾の何かを読もうかと思ってたんだけど
阿部定さんの印象」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42883_31183.html
を読んで胸がぎゅーってなって
いろいろ阿部定について調べていた今日。
狭い意味での私の業界は水曜が暇なんだよねん。






阿部定が生まれ育ったのは、会社の直ぐ近く。神田多町。知らなかった。
ていうかその生涯に関してはwikiを読んで。
事件:http://ja.wikipedia.org/wiki/阿部定事件
人物:http://ja.wikipedia.org/wiki/阿部定
人物の方の一番下のリンクは吉さんが殺されたまんまの姿の写真が載っているから
そういうのだめな人以外は見て欲しい。
血で布団のシーツに「定、石田の吉二人キリ」と書かれている。
胸がぎゅーっとなった。






大島渚の「愛のコリーダ」は見たことがあるんだけど
どうにもこうにも馬鹿なもんで
あんまり理解できていなかったみたいだ。
ポンコツだなあおれ。
つーか人生経験が足りないからか?
あああああ。







以上を踏まえて見てみたら
やっぱり胸がぎゅーっとなった。
吉さんの遊び人的なやさしさや
定が汽車の中で吉さんの着物をかぐシーンや
性に対しての様々なものを深めていく場面や
もちろんラストシーンに至るまで
様々な種がちりばめられていることに気がつかなかったんだな俺は。







自分のことを正常だという訳じゃないが
これは「いわゆるモラル」とは違うチャンネルの人々の
純愛映画なんだなあと思った。
トゥルーロマンスなんだよ。
異常性に捕らわれすぎて肝心なことが見えていなかったみたい。
本当に自分のそういった鈍感な感性はいやになるね。







坂口安吾も書いていたが
全ての女の人の中には阿部定が住んでいるような気がする。
そう思うとやぱり胸がぎゅーっとなる。






チャンネルが違うだけで理解されない人って
結構いる気がするんだけど
チャンネルが違うだけで視野から除外する感性は
考え物だと思って生きてきたはずだが。恥。







阿部定はその後おばあちゃんになるまで波乱の人生を生きるんだが
(失踪したので今も生きているか死んでいるかはわからない)
一度ドキュメンタリー映画でインタビューを受けている。







wikiにも書いてあるが
『そうね、人間一生に一人じゃないかしら、好きになるのは。
ちょっと浮気とか、ちょっといいなあと思うのはあるでしょうね、いっぱい。
それは人間ですからね。けどね、好きだからというのは一人…(以下略)』
と言葉を残している。
事件前もたくさん男性と交際したりしていたみたいなのだが
一生に一度と言い切っている。
これは事件直後もずーっとそうだたみたい。
前のはカウントされていない。
坂口安吾の別の文章には
『いつごろから恋をしましたか、と私がきゝましたら、
吉さんとあゝなるまで、つまり三十三かの年まで恋をしたことはなかった。
あれが自分には一代の恋だった。』
と書いてある。
まさにトゥルーロマンスだ。
こっちの文章もすごくいいから
興味のある人はどうぞ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42816_33440.html







なんだか整理されていない文章になってしまったが
自戒のために記しましたよ。
おざなりにしていいもんなんてないよ俺。




最後にまた坂口安吾の引用。あう。


『然し今日、八百屋お七がなほ純情一途の悲恋として人々の共鳴を得てゐるのに比べれば、
お定さんの場合は、更により深くより悲しく、いたましい純情一途な悲恋であり、
やがてそのほのぼのとしたあたゝかさは人々の救ひとなつて永遠の語り草となるであらう。
恋する人々に幸あれ。』