価値の話

今日代表に面白い事を教えてもらった。



20年前ってもちろんネットなんてないし
本当に欲しいものが手に入らない時代だったみたい。
小さくても好きでやっているような
レコード屋や古着屋、楽器屋とかなんかは
一年に何回か海外に商品を買い付けに行ってたらしい。
「これ今買っとかないともう手に入らないよ」
とか
「これ今あるだけだから急いで買った方がいいよ」
が殺し文句。
今でもこういったやりとりは街角で見られる光景だけど
昔はその言葉の重みが桁違いだったと思う。
なんせアメリカまで行かないと手に入らない代物だ。
行ったところで一期一会、必ず手にはいるとは限らない商品だってある。




京都には凄い楽器屋がたくさんあったらしい。
おじいさんが経営するとある楽器屋。
そこに若い頃の代表がぶらっと入った時の話。
そこに激レアな古いギターが置いてあったんだって。
夢中になって見てる代表。
そしたらおじいちゃんが話しかけてきた。
「そのギターで商売するのは人生でこれが3回目だ」
どうやらそのギターは以前2人持ち主がいたみたいなんだけど
結婚やら死去やらでギターを手放す事となり
そのギターの価値をちゃんと(一番?)理解している
販売者のおじいちゃんに買い取りという形で戻ってくるらしい。
近場にそのギターの価値を理解してくれる業者がいないから。
もちろんどこよりも高く買い取ってくれてたみたい。
「たぶん4回目はないだろうな」
とも言っていたって。




もちろん今でも局地的にこういった消費の在り方ってのは残っているんだろうけど
とりあえずネットでそこそこのものが買える時代から見ると
もの凄い話だなあと思った。
「所有する」ということの意味が少しづつ変わってきているんだろうと思う。
近い以前に、ヴィンテージとかレアとかそういう言葉をありがたがる風潮があって
気軽にヴィンテージとかレアって言うけど
それはこういった時代の言葉なような気がすんだよな。
本当に希少なものはやっぱり希少だけど
ヴィンテージギター手に入れるのに、お金はあるのに一年待ちとか
そういう時代と比べると、非常に簡単になっているというか。
今はそれなりのヴィンテージギターなら1週間後に郵送されてくる。
「結局好きな人は好きって事は、本質的なところは変わってないって事でしょ?」
って言われるかもしれないけど
全体で見ると、でかいと思うだよな。






たとえばジュークボックスの存在がその移り変わりを象徴していると思う。
茶店で化石になっている存在のジュークボックス。
古い喫茶店にはいると結構な確率で残ってたりする。
ボーリング場とかに行くと映像付のそれがあったりもするけど。
専門的だったりマイノリティだったりするものでも
ネットでだって見れてしまう時代だ。
なんでそんなにジュークボックスが普及していたのか?
と考えると「価値の移り変わり」が見えてくる。






消費が文化を育てているってことか。結局は。





何気ない話の中でだったけど
「価値」や「消費」の在り方が変わるって
相当な事だと思って
ハッとしましたよ。