何度夢に破れたら女の子は本当に強くなるの?

ボジョレーが解禁だのなんだの騒がれていますが
ここ数日仕事が暇で毎晩のように
お客さんやらカメラマンさんと飲みに行ってるわけで
もちろん飲むと決めたら泥酔まで一直線な訳で
帰ってきてもまったく体力的な余裕なんてないわけで
そんな席ですらボジョレーなんてキーワード自体出てこないわけで
焼酎のボトルがテーブルにおかれている状態で飲むホッピーはかなり危険なわけで
おじいちゃんのカメラマン先生と一緒の帰り道で
帰り道と反対側のプラットホームに立っていたりするわけですよ。




環境の変化が著しくて
何が何だかよくわからない感じになってるけど
カメラマンの作品展を見に行って大いに感化されている自分がいたり。
いったみんなで飲みに行って
業界の超先輩のカメラマンさんに人生相談。
まだまだ甘いそうです。
あと数回死にかけるぐらいの経験がないとあそこまで達観できなそうです。





表現行為をするときに
発信する側と、受信する側と、もうひとつ「第三の目」があるんだって。
物言わずにじっとその二つの存在を見つめる目。
発信する側は特にその目の存在に気がつくとひやっとするんだって。
ちょうどそんな作品を作ってて。
何だかすごくわかる気がする。
ライブの時にいつでも感じている感覚。
喧嘩腰な態度を取ってしまうのは奴の存在にびびっているからなのか?





そんな話をすごく年上の人にされたもんだから
こういったことを死ぬまで続ける人は
死ぬまでそんな想いとのせめぎ合いに身を置かなくてはいけないってことで
なんだかうれしいようなかなしいような
じりじりした想いになってしまいました。人形町PM11:00。





選び取るべき未来が複数存在している猫箱状態であることを
ものすごく痛感しているこのごろ。
選ぶべき選択肢の数が増えてきた。
いづれにせよ、選ばなければならない時がもうきてる。
ほんと、どうしようか?




小さな翼ではびくともしないらしいです。
夜の向こうにある未来を探すみたいです。うーべいべー