「絶対お前の思い通りにはならないからな!」

誰が一番強いのか?




っていう投げかけは、本当に正解なのかなと最近思うんですよ。
確かに戦極とかDREAMとか立ち上がって盛り上がってるけど。
プライドがあんだけこの命題を追求して
なんだか自分の中で一段落した節もあったりして。
それって非常にスポーティなものなんだよね結局。




youtubeで藤波のマッチョドラゴンを鑑賞した後
猪木の秘蔵映像をみてたら
ゼロワン旗揚げしたぐらいにやった
三沢・力皇VS小川・村上の映像が出てきた。
この頃の小川村上はかなり面白いけど
それに対する三沢ってのが
凄まじくガチで面白い。
パートナーが力皇って時点でやばい。
このころはまだ若手の選手ってイメージだったけど
相撲でかなり良い線いった選手だ。
そんな選手が気合いバリバリで
村上のパンチをノーガードで食らって挑発したり、
唐突に本気でぶちかまししたりするのだ。
小川に至っては、三沢からマウントとって殴ろうとした瞬間に
後から思いっきりぶちかまされていた。
リングの外まで吹っ飛んでた・・・
三沢も三沢で
いかにも無理矢理投げてますよ的なバックドロップとか
しゃれにならない仕事っぷり。
映像にはなかったけど
この日記のタイトルみたいなマイクもあったような気がする。
↓これ映像


http://jp.youtube.com/watch?v=t92tcNjdstU&feature=related






三沢は小川的な世界とは無縁なプロレス人生だった。
だからこれからもこの先もこんな試合することなんかないだろうけど


●力皇の起用
●徹底的に小川とは絡まず自分が強いように見せる内容
●試合後の乱闘に備えノアの若手を大量にセコンドに。


と、用意周到に小川的世界への準備をしてきていた。
結果簡単にその世界を打破してしまった。
それってなかなか見れるものじゃない。
なんだか馬場的なものを感じる。
馬場って常に「いざ猪木」を想定していたんじゃないかな。
自分が、ではなくて常に「対猪木用」の選手を
周りに置いていたんじゃないかな。
そんな妄想に至ってみたり。



力道山と闘った柔道家木村は
あんな結果に終わった事でプロレスに恨みを持ち
弟子に「対プロレス」用の練習をさせていたという。
数十年後その弟子の一人が馬場の所に
異種格闘義戦の挑戦をしにいったらしいのだ。
その時に馬場本人から
「プロレス」としてその試合を受けることはできる、と言われたらしい。
そして、約束の反故がリング上であった場合は
それ相応の準備が馬場側にもあるということを言われたんだって。
あまりの馬場の迫力にその試合が実現することはなかったんだけど。




それ相応の準備ってなんなんだろう?
馬場本人がキラー化するってこと?
小川が橋本をやった時みたいにセコンドがわらわら入ってきて
フクロにするってこと?
試合が終わった後に何らかの形で報復するってこと?





そんなことを思い出しながら
この試合みてた。
「もっとも強い人」を決める試合ではない。
が、面白い。
普通のプロレスにはないヒリヒリ感がある。
最近では総合の試合でも
そんなヒリヒリ感が演出できなくなってきてると思う。






最近の小川を見ていると
とてもじゃないがこの頃の輝きはない。
多分時代性のせいだ。
この頃の小川は時代性を味方にしていた。





この頃にはあって
今にはないものってなんだろう?







それが次の進化のヒントのような気がする。
そしてそれは、現状の総合格闘技では表現しきれない
なにかのような気がする。
今だからこそプロレスなのか?
マッスルやハッスル的なもの以外で
プロレスを進化させる事ってできないかな?




※追伸
もっかい見直したけど
三沢のハイパーエルボーっぷりとか
首を押さえつけるグラウンドとか
一つ一つの「手順」がいちいちマジな力皇とか
村上の上手すぎる受身とか
乱闘の最前線にいる泉田とか
いつの間にか乱闘に混じって美味しいとこをもってく橋本とか
あまりに見所が多すぎて・・・
それを説明しようとすると
時代背景から書かなきゃいけなくてめんどい。


村上はプロレス界の宝なのに今なにやってんだろうな。
この頃の小川村上のプロレスはかなりエキサイティングだ。
この試合は小川村上が大人だったんだろうな。
あきらかにノアサイドが正気じゃない。
狂った旧全日系って寒気がするぐらい怖い。
それってやっぱそんな体制を作り上げた
馬場が怖いって事?